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江戸時代の商家が残る「中山道桶川宿」を歩く

公開日:2021年11月21日 最終更新日:2023年07月20日
タイトル
江戸時代の商家が残る「中山道桶川宿」を歩く

詳細

開催日:令和3年11月17日(水)
目 的:会員研修会、交流会
案内人:「桶川市ガイドボランティアの会」の皆さん
参加者:鴻巣ガイド会15名(3班)
桶川市ガイド会6名(各班に2名)
コース:浄念寺⇒武村旅館⇒下木戸⇒島村家住宅土蔵(資料館見学)⇒島村老茶舗⇒小林家住宅母屋⇒桶川宿本陣遺構⇒矢部家住宅⇒稲荷神社⇒レンガ蔵⇒大雲寺⇒辻村みちよ博士顕彰の碑:ガイド終了。
昼食場所:「五月寿司」
←桶川駅東口近くにある「ことぶき広場に集合した参加者、水色ジャンパーは案内役の「桶川ガイド」の皆さん

「中山道宿場館」の隣に掲示されている「中山道桶川宿」案内図

浄土宗「浄念寺」、山号は清水山法恩院。室町時代初期(1360年頃)に朗海上人が修行のための草庵を創建、小金東漸寺の團誉桂全善壽上人(文禄4年1596年寂)が開山した。

穀物問屋の「島村家」の墓に、京都のべに花商人で桶川で亡くなった人の墓がある。          江戸に近いので、下の寺とも呼ばれていた。鴻巣・勝願寺の末寺。

「武村旅館」の説明を聞く。玄関付近の間取りは、ほぼ当時のままの姿。

江戸時代の旅館の姿を残しながら、今も営業を続けている旅館。国登録有形文化財。

桶川名物「べに花饅頭」の店。道路拡張のため、来春には立ち退くことになっているという。

中山道に面した「島村家住宅土蔵」、穀物問屋を営んでいた島村家:屋号は「木嶋屋」の土蔵。天保飢饉(1883年~1839年)の際、蔵を建てることで人々に仕事を与えたことから「お助け蔵」と呼ばれていた。

中庭から見た木造3階建ての土蔵、黒漆喰の外壁は、保護のためトタンでおおわれている。国登録有形文化財。

内部は「江戸時代生活用具資料館」になっていて、公開されている。入場料100円。渋沢栄一書の教育勅語もあり、ガイドの森田さんがスラスラと暗唱してくれた。

「島村老茶舗」、江戸末期創業、店舗奥の母屋は、その時に建てられた。主に狭山茶、静岡のお茶を扱っている。国登録有形文化財。

「小林家住宅母屋」、江戸末期に旅籠として建てられた。現在はノスタルジックな雰囲気のギャラリー&カフェとして営業。国登録有形文化財。

「本陣跡」、門の奥に本陣の遺構があるが、非公開。桶川本陣は、加賀藩・前田家などの宿所だった。埼玉県・桶川市指定文化財。

「矢部家住宅」、道路に面した店舗部分の「店蔵」と住居部分の「文庫蔵」からなる商家。店蔵は明治38年築。文庫蔵の鬼瓦に施された装飾は、”カラス除け”か?桶川市指定文化財。

「桶川稲荷神社」、桶川宿の人々の心の拠り所。拝殿前の石灯篭には、寄進した紅花商人24名の名が刻まれている。

江戸一番の力持ちといわれた三ノ宮卯之助が持ち上げたと伝えられている「力石:610㎏」が残る。

見事な「レンガ蔵」が残っている。

曹洞宗の寺院「大雲寺」の鐘撞堂、山号は龍谷山。足立坂東三十三カ所霊場の2番札所。弘治3年(1557)清越の開山と伝えられる。京都に近いので、上の寺とも呼ばれていた。

本堂に向かって左にある3体の地蔵菩薩のうち右端は「女郎買い地蔵」と呼ばれ、背中にカスガイが打ち込まれ、昔は鎖で縛られていたという。桶川宿の飯盛り女に会いに行ったという伝説がある。

「辻村みちよ博士の顕彰碑」、明治21年に桶川宿で誕生。緑茶に関する研究で、ビタミンC、カテキンを発見し、渋み成分タンニンの抽出に成功した。昭和7年(1932)に学位論文「緑茶の化学成分」で、女性初の農学博士の学位が授与された。

大雲寺からほど近い「五月寿司」で昼食をとった。大勢で食事をしながら談笑するのは久しぶりなので、喜ばれた。

お寺に近いせいか、2階に大広間があり、舞台までついていた。帰りに、「べに花饅頭」2個(こし餡・つぶ餡)が土産として配られた。

この情報は、「観光ボランティア鴻巣ガイド会」により登録されました。

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