復元整備鳴れた「桶川飛行学校平和祈念館」を見学
詳細
熊谷陸軍飛行学校の分校として、昭和12年(1937)に「桶川分教場」が設置された。各地から集まった生徒は、ここで寝食を共にしながら、陸軍航空兵になるための飛行機の操縦教育を受け、その後戦地に向かった。
戦後、桶川分教場の建物は、引揚者のための市営住宅「若宮寮」として使用された。平成28年には守衛棟、車庫棟、兵舎棟、便所棟、弾薬庫の5棟が市の文化財に指定され、平成30年から令和2年にかけて、これらの建物の復元整備工事が実施された。
桶川分教場時代の建物を活用し、平和を発信し、平和を尊重する社会を実現するための施設として、令和2年8月4日に「桶川飛行学校平和祈念館」が開館した。(同館のリーフレットより)
●開催日:令和2年11月18日(水)桶川駅西口に9時集合
●参加者:11名
下の写真は、「桶川飛行学校平和祈念館」の兵舎棟をバックに参加者の皆さん
①「熊谷陸軍飛行学校桶川分教場」の歴史について、熊谷会長が説明。
「桶川飛行学校平和祈念館」の館長から、さらに詳しい説明を受ける。
「便所棟」、生徒は午前5時30分に起床し、掃除の後ここで顔を洗い、歯を磨き、身支度を整えた。
便所は汲み取り式で、便房の床下に設置したかめに溜まったものを、取り出し口からひしゃくでくみ取っていた。
当時の様子を伝える展示室、使用していた機器類も展示されている。
「兵舎棟」の寝室、通路を挟んで片側に10台の寝台が設置され、1室で20人が生活していた。
②「泉福寺仁王門」、石の仁王様にはたくさんのワラジが奉納されている。
「泉福寺本堂」、比叡山延暦寺にならい関東方面にも天台宗を広宣する目的から淳和天皇の勅願によって慈覚大師を開山使と仰ぎ、学徒寺として天長6年(829)に道場を開いた。
晩秋ともなれば銀杏の並木が寺域の静寂に淡黄色をまき散らして一入の雅趣を添え、真に精神文化向上の道場にふさわしい環境にある。荒川の向こうは、ホンダエアポート。
③荒川太郎右衛門橋と泉福寺の中間にある「川魚山中」で昼食
名物の「うな重」に舌鼓をうつ参加者の皆さん
うな重の後に、桶川名物の「べにばな饅頭」も出た。満腹!
④石戸・東光寺の石段の右側にある庚申塔ほかの石仏
石戸蒲桜の前で、昭和8年編集の「郷土読本」から「範頼と蒲桜」「伝説・亀御前」の朗読を聞く参加者
馬室の常勝寺に保存されている「亀姫の薙刀」の写真を見る
⑤「北本自然観察公園」の南口で埼玉県自然学習センターの職員の出迎えを受け、自然観察をしながらセンターに向かう。
落ち葉を踏みしめながら公園内の遊歩道を散策
「石戸城と一夜堤」の説明版。石戸城は、室町時代長禄年間(1557~60)ころ、岩付・松山・河越の各城との連絡のために築かれたものと伝えられている。
⑥「埼玉県自然学習センター」1階で、南極観測隊に参加し田留さんから「南極大陸の自然と生きもの」の展示前で説明を聞く。
田留さんの専門の「地衣類」の展示
2階にもパネル展示があり、説明が続いた。「南極観測に参加したご本人が身近におり、説明を聞けた!」と、参加者は感激していた。
この情報は、「観光ボランティア鴻巣ガイド会」により登録されました。